インドで貧困に苦しむ人々のために献身的に奉仕、
ノーベル平和賞を受賞した誰もが礼賛する聖女ある。
ぼくもまぁそういう認識でいたのだけれど、
先日、たまたま、こんな記事を読んだ。
「マザー・テレサ、スーパー物乞い」
ショックだけど、挙げられたソースからも信憑性は高そうだ。
ただ、だからといって彼女を犯罪者扱いになんてできないよ。
これは1つの側面でしかなく彼女によって救われた人はたくさんにいるのだから。
ホルガー氏がこの記事で救った人はおそらく1人もいないだろう…
ただ、この批判を知った上で、頭によぎったのはナイチンゲール。
彼女もまた、マザーテレサ同様「神の声」を聞き、それを実践した人だ。
しかし、それをきっかけに、両者の歩んだ道は言わば対照的と言える。
例えば
苦難を味わってこそ罪が清められるという中世並みのキリスト教思想から、
薬や鎮痛剤には批判的で、病人にそれら の薬を与えなかった
というマザーテレサに対し、ナイチンゲールなら、
「中世並みのキリスト教思想的な禁を破る事で、
私がどんな罪をかぶり、どんな罰を受けようが構わない!
苦難を味わっている病人に罪はない! 今すぐに薬や鎮痛剤を!」
と真逆の事を言いそうだ。(あくまで想像だよ)
まぁホスピスとホスピタルの違いはあれども、マザーテレサが
薬や鎮痛剤を拒んだ理由が、とどのつまり宗教に帰結するのなら
称号である「愛の人」がいう愛とは神にのみ捧げられたものなのか。
ナイチンゲールは自らの行いを「神への奉仕」としながらもこう言った。
「病人を救うのは宗教者の愛よりも衛生環境である」
善意とは本当に難しいものだね。
それを実践するのが人でしかない己である以上、
自己矛盾と葛藤する苦しみがいつもつきまとう。
それと戦う強さを持つ事を強いられる。
神の言葉の解釈により戦い方だって違ってくる。
「ただ愛せ」などと、よく言える。
神様は世間知らずだ。