引っ越しました

2014年07月17日

子どもと語らえない社会

今日、とある喫煙所で仲間と煙草をプカプカしてたら、
通りかかった見知らぬ少年からあいさつされた。

「こんにちはー」\(^〇^)/ 元気。ニコニコ。

10歳くらいかな。空手の道着を来ていた。

喫煙所には5・6人の大人がいて全員振り向いた。
でも、あいさつを返したのは、ぼくだけだった。

あいさつを返してもらって気を良くしたのか、
少年はニコニコ近寄ってきて話しかけてきてくれた。
「今日ねー、空手だったんだー」\(^〇^)/

「空手かー、かっこいいなー!」(´ー` ) 

 ぼくもニコニコ返した。

「でも白帯なんだぁ。クラスで僕だけ白帯なんだぁ」(´・ω・`)

「そうかぁ。そりゃくやしいなぁ!」( ・`ω<´)

「うん。くやしい!」( ・`ω<´)

「あせるなぁ!」( ・`ω<´;)

「うん。あせる!」( ・`ω<´;)

「がんばれよ!」( ・`ω・´)/

「うん。がんばるよ!」( ・`ω・´)/

「えらい。その意気」(´ー` )

「おじさんは空手できるの?」(・∈・)

「おじさんは空手できんなぁ」(´ー` )

「空手の型みる? おじさん、できるかなぁ」σ(・∈・)

「おっ、見せてよ。どんなよ?」(´ー` )

「こうだよ!」( 」・`ω・´)ー シュッシュッ

「おっ、かっこいいなぁ! こうか?」(/´ー` )/

「アハハ。おじさん、ちがうよぉ!」\(^〇^)/

「んー? ちがうかぁ? こうか?」\(´ー`\)

「アハハ。それは盆踊りだよぉ!」\(^〇^)/

「そっかぁ。盆踊りならおじさん黒帯なのになぁ」(´ー` )>

「アハハハ」\(^〇^)/

 〜20分ほど語らう〜

「あ、僕もう行くね。お母さんに怒られる!」(;`Д´)

「おう、行け行け。母ちゃんに心配かけちゃイカン」(´ー` )

「うん。またね! おじさん!」\(^〇^)/

「おう、またなー。気をつけてなー!」(´▽` )/

 タタタッと駆け出した少年。
 ふいにピタッと立ち止まってクルッと振り向いた。

「おじさーん!」\(^〇^)/

「おーう、なんだーい」(´ー` )

「トモダチになっちゃったねー!」\(^〇^)/

「なっちゃったなー! また会おうなー!」(´▽` )ノシ

「うん。じゃーねー!」\(^〇^)/

 タタタタタ…


ハイ。

こんな事があったんよ。


さて、ここまで読んだあなた、
この出来事をどう思うだろうか。


一期一会、ちょっと素敵な出会い。
見知らぬ者同士の少年とおじさんの微笑ましい交流。
世代を越えて芽生えた小さな友情物語。



…的なさ。

一見 心温まるエピソード て。

そんなふうに思ったんじゃないだろうか。


ところがだ!m9(;`Д´)


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2014年07月15日

本当にあった怖いトーマス

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怖い怖い怖い怖い怖い!Σ(°ロ°屮)屮

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2014年07月08日

七夕おもしろ願い事

スポーツジムにあった七夕飾りの願い事。

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 ▲さっか

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 ▲けきや

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 ▲ぺとっしょぷやさん

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 ▲黒板…受け取ったらしい…

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 ▲すでにコケてる

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 ▲10円玉と500円玉

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 ▲と

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 ▲ママは切実


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2014年07月03日

情けは人の為ならずロジック

情けは人の為ならず という教えがある。

これは、要らぬ情けをかける事はその人の為にならない という事…

ではなく ※勘違いしてる人が多いので念のため…

人に情けをかける事は、巡り巡ってやがて自分に返ってくる。
だから人には親切にしておきなさいよ
 という教えだ。

なんだか、ずいぶん打算的。
自分のメリットがある場合にしか、他人にメリットを与えない。
そんな、ある意味、利己的で狭量な印象を受けかねない。
(まぁ世間なんて、そもそもそういうものだけどね…)

でも、ぼくは「情けは人の為ならず」は、
そんな浅い教えじゃないと思うんだよね。

人の為に何かしらの行動をする場合、
その理由が、そのまんま「人の為」では不十分だと思うんだ。
それでは、情けをかけて “あげる”、何かして “やる” という
上から目線な立ち位置からの行動になってしまう。
“お前のためにしてやったのに”という理屈が成り立ってしまい、
行動によって生じた結果が悪い時、無駄に腹が立ったりしちゃう。
道理の通じない相手だと「頼んでねぇよ!」などと言われかねず、
ますます不毛なフラストレーションがたまっちゃう。

なので、人の為に行動する理由を、変換・整理・調整し、
自分の中で、いかに「自分の為」だと設定できるか、
だと思うんだ。その上で「人の為」に行動するべきだと。

自分の中でそうした決着が事前についていれば、結果が悪くても、
もっと言えば、多少の損をしたとしても、たいてい許容範囲に収まる。

「善い行い(人の為)をしたのに、なんで自分がこんな目に!」
…などと腹を立てたり、悔いを覚えたり、ストレスを感じたりしないで済む。
「自分がしたくてやった事だからなぁ…」「自分で決めて、した事だからなぁ…」
「まぁ、しかたないかぁ…(´〜`;)」
なんつってね。気を納められる。

これはこれで打算的だが、メリットを得るためだけのギトギトした打算じゃなく、
リスク回避、自己防衛、デメリットを避けるための打算だ。かわいいもんだ。

よって「情けは人の為ならず」のぼく解釈は、

人の為に行動する時は、それによって生じうるリスクを回避するために、
事前に自分の中で準備・覚悟をしておきなさいよ
 って事だと思うんだよ。
その方法として “自分の為と思い込む” って有効ですよ〜、みたいな。

“巡り巡ってやがて自分に返ってくる”なんてのはサ、方便だよ。
まず返ってこねぇわ。(笑)そんなもん。(´〜`;)ゞ
分かってる。分かってて仮定するんだよ。自分の為っていうメリットを。

ハイ、というわけで、

情けは人の為ならずロジック

これを自分の中でいかに自然な形で成立させるか。
いかに自分を納得させられる理屈をこねられるか。

人の為に何かしようと思い立った時、
これが必要になるんだよね。ぼくはね。


こんな事があったんよ

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