「ごめん」とか「わるい」とか「すいません」と言う人がいる。
例えば、おみやげやプレゼントをもらった時、
例えば、病気になって看病してもらった時、
感謝ではなく謝罪の言葉をチョイスするのだ。
「あらあら、すいませんねぇ」
「ごめんごめん。わるかったねぇ」
「わるいねぇ。ゴホッゴホッ」
もー気が知れない。わけがわからない。
ぼくにとってこれは謝罪のタイミングで感謝するくらい違和感がある。
うっかり隣の人の足を踏んでしまった時「ありがとう」と言うような違和感。
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だってそうでしょ。
謝罪ってのは「罪を犯したので謝ります」って事だ。
いったい、どんな罪を犯したっていうのよ。
気を遣わせてしまった罪?
心配かけさせてしまった罪?
いずれにせよ、てんで的外れなんだ。
なんなんだよ、この持って回った罪の意識。
ああ、きもちがわるい。
誰かの厚意を受けた人を「悪い奴だ!許さん!」
などと、いたずらに非難する奴なんているか?
おらすか! そんなもん! 分かり切ってる事だ。
バレンタインに「この極悪人!」と罵りながらチョコ渡すか?
仮にその罪悪感を真に受けたとしたなら、
「持たなくてもいい罪悪感を持たせてしまって悪かったなぁ」
なんて、逆に罪悪感を持ってしまいかねない。
それを悟ったあっちはさらに罪悪感、
それを汲み取ったこっちも重ねて罪悪感。
罪悪感、ああ罪悪感、罪悪感。
無駄な罪悪感の大安売りだ。
ばからしいったらないんだよ。
なぜ「ありがとう」と素直に言えない。
なぜ素直な人の厚意を、素直に受け取る事ができない。
別に、気を遣わされてるわけじゃないし、
別に、心配かけさせられてるわけじゃない。
何でもかんでも手前本位に考えやがって。
だから「ごめん」なんて言葉が出てくるんだよ。
喜こばせようと思ったり、心配したりするのは、
あんたという存在が、そうさせているわけではなく、
そうしている人がそうしたくてしている。
その人の意志によるものだ。
あんたの事が好きなのはこっちの意志で、
あんたがそうさせてるわけじゃねえよ、ってのと同じ理屈だ。
おごってんじゃねえよ。こんちくしょう。
さあ言え。素直に「ありがとう」と。
言わなきゃ承知しねえぞ。べらぼうめ。 …あれ?