例えば、ここに炒め物を食べた後に残ったタレがある。
▲こんな感じ
そこに、ごはんをバカッと入れて、
▲バカッとね
グリグリグリーとかき混ぜる。
▲グリグリグリーっと
すると、あら不思議! 味ごはんに早変わり〜!!
これがうまいんよ。だから、みんなやりたがる。
でも、ひとりしかできない。早いもん勝ちだ。
ってわけで、ごはんをバカッとできる権利を主張する言葉、
それが バカトッピ である。
さらにバカトッピ
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「トッピ」とは、早いもん勝ちの時に権利を主張する言葉。
バカトッピに限らず、早いもん勝ちの時は「○○トッピ」という形で使用される。
例えば、種類の違うケーキがあったなら「モンブラントッピ!」みたいなね。
「トッピ」を宣言されたら、もう他のヒトは了承するしかない。暗黙ルール。
普通のご家庭では「今日のごはん、なーに?」なんてのは、
そのまんま “今日のごはんは何なのか” を知りたいだけなのだろうけれど、
桜井家の場合、バカトッピができる料理なのかどうかを知るという意味もあった。
もし、それができる料理ならば、すかさず母にバカトッピを伝える。
すると、その後、遅れてやってきた者がバカトッピしても、
「もう、くーちゃんがバカトッピしてるからだめよ」と母から言い渡されるのだ。
バカトッピ争奪戦は熾烈を極め、ほぼ同時に「バカトッピ!」を宣言した場合は、
兄妹ケンカに発展する事すらあった。それほどまでにバカトッピは魅力的だった。
バカトッピを見事ゲットしても、それで終わりではない。
バカトッピ宣言者は、おのずと
おかずがなくなった後、ごはんをもう一杯食べる
という難題を背負う事になる。
もし、その時がきても腹一杯では、せっかくのバカトッピが台無しだ。
ともすると、他の人に権利を譲る羽目になりかねない。
無理して食べ、もし腹を壊しようものなら、こっぴどく怒られて、
次のバカトッピが認可されない可能性もある。
だからといって、本来のおかずの自分の分け前を控えては本末転倒だ。
自分の分け前+アルファの要素だからこそ、バカトッピには価値がある。
だから、バカトッピは、胃に余裕をもたせつつも、本来のおかずもしっかり食べる
という高度なバランス感覚を要求される諸刃の剣だった。
と まあ
そんな愉快なバカトッピなんだけど、成長に伴い誰もしなくなっていったね。
一人暮らしになってからはもちろんの事。トッピする必要ないからね。全部一人占め。
兄妹3人で飴玉からテレビのチャンネルまで、何もかも争奪戦だったあの頃からすれば、
夢のような事だけど、そうなった今、むしろ夢のように思い出すのはあの頃の事だ。
言っちゃえば、貧乏だったよ。うちは。
それによって、はずかしい思いや、くやしい思いもたくさんした。
それでも、ふりかえってみれば、みんな楽しかったなと思える。
それは本当にありがたい事だよね。(´ー` )