読んだのはこの記事
↓動画
「外国に住む教師による語学学習を受けたり、離れて暮らす独居老人との会話ができる」
というものらしい。
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しかし、これはどうなんだろうか…
単に「会話ができる」という事なら電話があり、
「相手の姿を見て会話できる」という事ならテレビ電話(例えばskype)がある。
だから、これは「相手に触れながら会話できる」という点がユニークなのだろう。
動画内でも老人が会話中の孫に見立てて、人形を抱きかかえてる。
でも実際のトコ「触れながら会話したい」なんて欲求、あるかぁ?
赤ちゃんならともかく、会話が成立するほど成長した相手、
ましてや大人を相手に「触れながら」とか「抱きながら」話す機会なんてまずナイ。
よって、そんな欲求は薄い。…とすると、目的自体、破綻してると思うんだ。
また双方でインターフェースが違うってのもいかがなもんか。
「あたかも対面しているかのように対話ができるようになっている」
と記事中にあるけれど、これは百歩譲っても、片方(じいちゃん側)だけだよね。
孫はせっかくじいちゃんと話してるのに、当のじいちゃんはそっぽ向いて
自分じゃなく人形に話しかけてる…
じいちゃんはじいちゃんで、孫と見立てた人形を触れたり抱いたりしてる姿を
俯瞰の別視点で孫にモニタされてる…
電話でもテレビ電話でもそうだけど、手段が双方対等って前提があるから、
コミュニケーションってのは成立すると思うんだよね。手段としても破綻…
そして…
何より…
このインターフェース。
人形の姿形。
(=_=;)うーん…
「まだ発展の途中なんだよ〜、まだ試作段階なんだよ〜、
姿形は仮なのでご愛嬌〜、テヘ(;P)ペロリ」って事なら
別にいいと思うんだ。「そっかそっか、そりゃ仕方ないよな」って。
ところが、開発者の石黒教授は、これについて、こう語ってる。
「最小限人間を感じさせられるところまで形をそぎ落とした」
「対話することによってロボットに引き込まれ、デザインに違和感はないはず。
むしろ世の中に出すことによって、評価されていくだろう」
ここまで豪語されちゃったら、つっこまざるをえないよ。
▲「お母さん、佐清です」的な…
一言でいえば、
不気味 怖い
おそらく、ほとんどの人が同じ印象を持つと思う。
一時期、人面魚とか人面犬とかって都市伝説が流行ったけど、
さしずめ、人面クリオネというところか。
▲クリオネ
動きも、姿形に負けず劣らず不気味。
まばたき一つせず、視点も定まっておらず、音声と口の動きも全く同期していない、
動作するたび、ひきつけを起こした人みたいに全身がビクンッビクンッと…
とても自然な人間の動きには見えない。ましてや会話中の仕草とは思えない…
記事はこう締めくくっている。
「将来のポスト・モバイルの代表商品に育つ可能性を秘めており、
石黒教授たちはテレノイドを、
『携帯電話に代わる新たなコミュニケーションツールになる』と期待している」
わざわざ「石黒教授たちは」って、断っているところに筆者の悪意を感じるが…
その悪意、賛成です…(=_=;)
百歩ゆずって固定電話ならともかく、携帯電話?(・"・)? 代わりようがないでしょ。
この人形(5kg)を小脇に抱えてして、街を歩いてる人は想像するだけでゾッとする。
HONDAのアシモみたいな、いかにもロボット然としたロボットは好きだけど、
“人間に模す”ベクトルのロボットは、あんまり好きじゃないな。