引っ越しました

2010年12月06日

ショートショート『キャンセルした男』

昼過ぎ、男が定食屋に入った。

主「いらっしゃーい」
男「天丼大盛りを頼む」
主「今、混んでまして。お時間かかりますが宜しいですか?」
男「かまわない。昼休みが終わるまで、まだ1時間ある」
主「そうですか。では、お待ちください」

店主は他の客の注文をこなした後、男の天丼を作った。

主「おまたせしま…あれ?」


提供しようと振り返ると、男がいない。
ふと見ると向かいのラーメン屋に男の姿が見えた。

客足もだいぶ落ち着いてきたところだったので、
店主は男の元へ行き小声で話しかけた。

主「あの…天丼できたんですが」
男「ああ、遅かったから、もうラーメンを頼んだ」
主「そんな…もう作っちゃったんですよ」
男「ラーメンを食べるから、もう、いらん」
主「困りますよ。時間がかかってもいいと言うから作ったんですよ」
男「腹がへっていたんだから仕方がないだろう!」
主「だったら作る前に一言『いらない』と言ってくだされば…」
男「もういい!ラーメンがまずくなるから行ってくれ!」

なんて勝手な!
しかし、ここで、いつまでももめるのもラーメン屋に悪い。
嫁に任せたままの自分の店の方も気になる。
店主は、ハアとため息をひとつ残し自分の店へと帰った。
残った天丼をひっこめたところに別の客が入ってきた。
よく見る顔、常連客だ。

主「いらっしゃい、今日はお早いですね」
客「この近くの会社へ納品へ行った帰りなんだよ」
主「そうですか。お仕事、ごくろうさまです」
客「さて、何にしようかな… 天丼ひとつたのむよ」

しめた! 店主は心の中で膝をうった。

主「お客さん、実は…」
客「ん? なんだい?」
主「ついさっき他のお客さんがキャンセルした天丼があるんですが…」
客「ほう、キャンセルした…」
主「ええ。大盛りですが並盛りのお代でいいので、いかがですか?」
客「え、並盛りの代金で大盛りが食べられるのかい」
主「もちろん無理にとは言いませんが…」
客「いやいや、むしろありがたい。持って来てくれよ」
主「ありがとうございます」

店主は天ぷらを揚げ直し提供した。
客も申し分なく、それをたいらげた。
こうして店主は作った天丼を無駄にせずに済んだ。

ふとラーメン屋を見ると、さっきの男が出て来るところだった。
男の方も気になっていたのかチラリとこちらを見て店主と目が合った。
店主の方には、もうわだかまりはなく、ニコリと会釈。
男はバツが悪そうに目を逸らし去っていった。

客「さっき言ってたキャンセルしたって奴かい?」
主「あ、ええ。そうです」
客「いったいどういうわけでキャンセルしたんだい」
主「はぁ…実は…カクカクシカジカというわけで…」
客「で、勝手にラーメンを食べに行ったわけか」
主「ええ、まあ…」
客「なるほど、なるほど…」
主「? どうしました?」
客「いや、ここの天丼はうまいのに。あいつは損したと思ってな!」
主「はは、それはありがとうございます」
客「ついでにあのラーメン屋はまずい。ますます損をしている!」
主「あははは、いやいや、それはラーメン屋に悪いですよ」
客「あははは、だな。ラーメン屋に罪はない。いくらまずくてもな!」

二人は顔を見合わせ大笑いした。

客は並盛り分の代金を気持ちよく支払い、
店主はそれを気持ちよく受け取った。

「まいどあり〜」という店主の声を背で受けながら店を出た男は、
駐車場にとめてあったトラックに乗り込みフウとため息をひとつついた。

そのトラックの荷台にはダンボール箱が3つ積んであった。
3つのダンボール箱の中には同じ内容の名刺がギッシリと詰まっていた。
その名刺には、天丼をキャンセルした男の名が入っていた。




posted by さくらい | Comment(0) | 短編 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。