「…失礼しました」
ウェイトレスは置いたグラスをひとつ下げた。
グラスの数を間違えたのは、ウェイトレスにとって、
これがこの店でのはじめての接客だからではない。
ましてや彼女が三流大学に通う学生だという事も関係ない。
それ以前に間違いではないのだ。
店主から言いつかっていたのである。
「水をひとつ多く運ぶように」と。
なぜか青ざめた客達のオーダーを店主に伝えたウェイトレスは、
首をかしげながら、持ち帰った余分なグラスをトレイから降ろした。
そして当然の疑問を店主に尋ねた。客に聞こえないよう小声で。
「あのぉ…なぜ、水をひとつ多く出すんですか?」
店主はカップを用意しながら、ニヤリと答えた。
「サービスだよ」
「サービス?」
「この店の前の一本道の先にトンネルがあるだろ?」
「ああ! 幽霊が出るって噂のトンネルですよね?」
「そうそう。この店にくる客の目的はほとんどが肝試しなんだ。
でも、そんな都合よく怖い事なんて起きるわけがない。
それじゃあ、わざわざ来たのに、気の毒だろう?」
「はぁまぁ… でも、それと水が何の関係があるんです?」
「彼らはトンネル帰りだ。グラスをひとつ多く出されたら、どう思う?」
そこまで聞いてウェイトレスはやっとピンときた。
「あっ、そっか! 『幽霊がついてきた』と思っちゃうわけですね」
「その通り。つまり君は、“いるはずのない誰か” が見えて、
水をひとつ多く出してしまった“霊感の強いウェイトレス”ってわけだ」
「あはは。わたし、幽霊なんて見た事ないですよ」
「だろうね。ぼくだってないさ。ほら、コーヒーあがったよ」
ウェイトレスは今度こそ人数分のコーヒーをさっきの客の元へ届けた。
「おまたせしました」
客達は相変わらず青ざめていた。顔を伏せ黙り込んでいる。
笑いをこらえながら、コーヒーを置き終えたところで、
客の一人が、たまらず尋ねてきた。
「あのっ! さっきの水… ひとつ多かったですよね。
も、もしかして…その…」
客全員が一斉に顔をあげ、ウェイトレスの答えを待った。
生ツバをゴクリと飲む音が聞こえてきそうだ。
それがおかしくて、ウェイトレスの口元はついゆるんだ。
それを必死に戻そうとする複雑な表情は客達の想像をかきたてた。
「ど、どうなんですか… ハッキリ言ってください!」
詰め寄る客。返答に困り店主の方を見ると客達もそれにならった。
店主は黙って目を閉じ首を振った後アゴをくいっと斜めに上げ、
戻ってくるようウェイトレスを促した。
その店主の行動は、客達の想像をさらにかきたてた。
逆に、ウェイトレスは可笑しみをさらにかきたてられた。
このままでは吹き出しそうだったウェイトレスは、
「ごゆっくりどうぞ」とだけ早口で伝え、小走りで厨房へ戻った。
それすらも客達の目には不自然に映り、ますます想像をかきたてた。
彼女の言葉とは裏腹に、“ごゆっくり” できるはずもない客達は、
頼んだコーヒーに、ろくに口をつける事なく席を立った。
会計を済ませた後もまだ気になるのか、何か言いかけようとした。
だが、言葉にならずあきらめたように口をつぐみ、背を向けた。
そんな絶妙なタイミングで店主が客達に声をかけた。
「君たち!」
足を止め、ハッと振り返る客達。
「ふもとに由緒正しい神社がある。寄ってみてはどうかな?」
店主がニコリと笑みを見せると、客達はペコリとおじぎをし、
我れ先にと乗り込んだ車を急発進させ、去っていった。
「あははははっ」
笑いをこらえきれず顔を伏せていたウェイトレスが、
堰を切ったように笑い出した。
「あぁ〜、おかしかった! マスター、人が悪いですよ〜」
店主はニヤリと答えた。
「言ったろ? これはサービスなんだ。
怖がりたい彼らに『望むもの』を提供したまでさ」
「確かに、そうかもしれませんけど…
こんな事してたら、お客さん来なくなりますよ?
ただでさえ、こんな山の中の一軒家なのに」
店主は一層ニヤリとしてこう言った。
「逆だよ」
「え、どういう事ですか?」
「怖い思いをした彼らは噂を広げるはずだ。
その噂を聞いて、また沢山の人が肝試しにやってくる。
そして、みんな、トンネル帰りにこの店に寄ってくれる。
言わば、彼らはタダで宣伝してくれる営業マンなのさ」
「はぁ〜 なるほどぉ」
一旦は感心し頷いたウェイトレスだったが、すぐに首をかしげた。
「でもぉ… やっぱり肝試しに来る人だけじゃ
儲からないんじゃないですか?」
「確かに街にある喫茶店に比べれば、客は少ないだろうね。
でも、君がさっき言った通り、ここは山の中の一軒家、
しかも幽霊がでるなんて曰く付きの場所に近いという事もあって、
家賃は二束三文でね、利益は充分にでるのさ」
再び感心しうなずくウェイトレス。店主は得意気に続けた。
「さらにだ。例の“サービス” を続けてきた甲斐があってか、
あのトンネルは、全国的にも有名な心霊スポットになっててね、
年に2度は、テレビのオカルト番組で紹介されている。
紹介されて、しばらくは肝試しに来る人が後を立たない。
県外からもドッと人が押し寄せ、連日満席、大繁盛ってわけさ」
「へぇ〜 そうなんですかぁ〜」
目を丸くしてうなずくウェイトレス。
「おかげさまで、君を高給で雇えるほどには儲かってるよ」
そう聞いてウェイトレスはうれしそうにニカーッと笑った。
「たしかにぃ〜♪」
彼女はここでバイトを始める前、駅前の喫茶店で働いていた。
ひっきりなしに入ってくる客に、てんてこまいだったが、
時給はこの店の半分以下の金額だった。
山の中の一軒家まで通う労力を差し引いても、おいしすぎるバイトだ。
「だから他言は無用だよ。いいね?」
「分かってますよ。こんなおいしいバイト、他にないですから。
それに“霊感ウェイトレス”のふりも、楽しいですし♪」
ニコリと笑う店主。
予想通りの答えが返ってきた。
ウェイトレスには言わなかったが、
実は店主はふもとの神社からも収入を得ている。
紹介した神社でほとんどの客がお祓いをする。
その際の法外な初穂料の何割かを謝礼として受け取っているのだ。
また、ほとんどの客が飲まない、
飲んでも味なんて分からないであろう
コーヒー豆も最低ランクのものだった。
タダで働く営業マン、無償のテレビCM、
安い家賃、安い仕入れ代、神社からの副収入…
むしろ、この店の経営は順調そのものだった。
持て余した儲けで若いウェイトレスを雇い始めるほどに。
カランコロン♪
話が一段落したちょうどその時、
ドアが開き、トンネル帰りと思われる若者達が入ってきた。
すかさずウェイトレスに耳打ちする店主。
「要領は分かっているね?」
「お客さんの人数より水をひとつ多く運ぶんですよね?
分かってますって。任せてください!」
ウェイトレスは弾んだ声で答えると、水を用意し、
ついついゆるむ口元をぐっと引き締め、客の元へと向かった。
「いらっしゃいませ…」
わざと陰気な声で言い、水の入ったグラスをゆっくりと置いて行く。
今回の客はどんな反応をするのか、ワクワクしながら。
しかし、それを決して顔には出さないよう、注意して。
最後の水を出し終えると、客の一人がこう言った。
「えっ? 水が ふたつ 多いんだけど…」
〜おしまい〜
さらに1個多い水、
ウェイトレスの言い訳やいかに!
お店を閉める事になるか?それとも・・・
本当にこんな経営のし方してるとこありそうで怖え〜