「のこり物には福はある」
順番が後になった人をなぐさめる優しいことわざ。
残ったものを片付けるために役立つことわざでもある。
善くも悪くも機能的である。
もともとは
我先にと人を押しのけるようなイジ汚さを戒め、
控えめ・遠慮深さ・譲り合う心をたっとぶ奨め。
みたいな意味だ。たぶん。
フム。悪くないよね。本来も。
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まあそうは言っても、状況にもよる。
(・_・)例えば
1人に1つ、まんじゅうくれる行列があるとして、
我先にと人を押しのけた人は、ぺろっと食べてもう一度列に並び、
もひとつゲトォ!のこり物だから福もゲトォ! ヒャフーヽ(`∀´)ノ
なんて事もありうる。元も子もない。イジ汚さを助長する。
(・_・)例えば
大皿にまんじゅうがいっぱい乗って出てきたとする。
1つ目が全員に行き渡り、最後に1つ2つ残ると
みんな遠慮し、譲り合って、なかなか手を出さない。
それを、のこり物だから福あるぜーゲトォ! ヒャフーヽ(`∀´)ノ
なんて人がいたとしたら元も子もない。話が逆だ。
と、このように、
このことわざはイジ汚い者が逆手にとれる隙がある。
その隙を埋めるため…なのかどうかはともかく、
まったく逆の意味のことわざが用意されている。
「のこり物には福がある」とまったく同じ意味で、
「余り茶には福がある」ということわざがあるんだけど、
“余り茶”という同じ語句を使いながら、その対義となる
「余り茶を飲めば年が寄る」ということわざがあるんだ。
余り茶とは、茶碗に残った飲み残しのお茶のこと。
つまり、余り茶を飲むという行為はイジ汚い。
イジ汚い事はやめなさいね、という戒めだ。
よって、
ゲトォ! ヒャフーヽ(`∀´)ノ って子への
カウンターパンチとして、このことわざをぶつける事ができる。
しかし!
対義であるからして、これは
「余り茶には福がある」の否定にもなりうる。
そもそも根拠希薄でありながら、謎の説得力をもつ
“福” というもののありがたみが薄れてしまう。
これはこれで、付け入られる隙になりかねない。
すると、今度は、
さにあらず!ヽ(`Д´)ノ
「余り茶には福がある」における“余り茶”とは、
茶筒の中に使い残した茶葉という意味で、
飲み残しの茶の事ではないのだ! 混同するな!
という、ナルホドごもっともな理屈が付けられる。
だがしかし、今度は…!(エンドレス)
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理屈と膏薬は何にでもひっつく。ペタッ。