
でも、実は数年前までコーヒーは大の苦手で、
まったく飲まなかった。っていうか飲めなかった。
なぜ、飲めなかったのか… 今回はそんなお話
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子どもの頃、9時には寝るよう、
親から言い渡されていた。
子どもだけ居間から退場した後、
残された両親はコーヒーを飲んで過ごす
これがサクライ家のならわしだった。
まぁ9時すぎたら子供にとって面白いテレビやってないし
テレビドラマのエッチなシーンとかを家族で見るのは、
かなり気まずいので居間退場に関しては不満はなかった。
不満なのは コーヒー だ。
これまたサクライ家のならわしとして、
子どもはコーヒーを飲んではいけない、というルールがあったので。
別に特別コーヒーが飲みたかったわけじゃない。あんな苦いもの。
でも「いけない」と言われるとやりたくなるのが子どもだよね。
ズルイ!ヽ(`Д´)ノ って思ってた。
今にして思えば、子どもを早く寝かしつけるための
ブラフだったのだろう。ただでさえなかなか眠らないのに、
カフェインによる効能で、さらに目が冴えてしまうので。
もちろん、ナゼ?と尋ねた事もある。
子どもにカフェインなんつっても通用するはずなく、
また「眠れなくなっちゃうから」なんて理由では、
「大丈夫だよ〜う」「眠れるよ〜う」と根拠のない
言い返しができる隙を与えてしまう。
なので子どもが自発的に「飲みたくない!」と
思うような “理屈” が必要だった。
で、編み出されたのがコレ。
子 ど も が コ ー ヒ ー を 飲 む と
脳 み そ が 溶 け る
ナニコレ? コワッ!((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
他にも理屈はあったと思うけど、これが一番印象に残り、
以降、コーヒーというものへの興味をすっかり失った。
つまり「飲みたくなくなった」ワケだ。まんまと。
荒唐無稽な理屈だが、あの色・苦味が、妙な説得力を持たせていた。
また、おりしも当時『バタリアン』というゾンビ映画がブーム。
これに登場するゾンビは “人の脳みそを食べる” という特徴があった。
子供からしてみれば、それだけでもじゅうぶんショッキングで!
それまでは、見えないもの、触れないものだった “脳みそ” が、
見れるもの、触れるものとして、意識されてしまっていた。
「脳とはこういう色形のもので、それが頭の中に入っている」と
具体的に想像できてしまう状態になってしまっていた。
その脳みそがだ、事もあろうに “溶ける” って。(恐llʘิДʘิll怖)
興味を失うどころか、恐怖の対象にすらなった魔の飲み物!!
それがコーヒーという事にぼくの中で定義されてしまったのだった。
もちろん、大人になり アリエナイ と頭では理解していても、
トラウマのように深く刻まれた苦手意識は払拭できなかった。
そもそも「苦い」は「マズい」。味わいたくないモノのはずだ。
それを、なぜ自分から味わいにいくのか。わざわざ。理解不能だった。
たまに、ちょっと大人ぶってみたいと飲んでみてもやっぱり苦ッ!オエェ!
苦味を味わうたびに条件反射で「脳が溶ける」という恐怖が広がり、
メンタル面でもダメージを味わうという… ひどいコーヒー恐怖症だった。_| ̄|○

▲簡易ドリップで。インスタントはマズし…
それが、変われば変わるもんで。
今では、ほぼ毎日1杯。多い日は4、5杯飲む。
ヘタすると三食コーヒーって事も…(仕事に熱中しすぎて、ごはん食べ忘れてね…)
コーヒーの呪縛は完全に解けた!
あいかわらず苦いけど、その苦さが逆にいい。
そう感じられる、ぼくの味覚・ザ・大人ヽ(´ー`)ノだよねぇ〜。
「脳が溶ける」って刷り込みは、消えやしないけど、
トラウマではなく、オモシロ思い出として発露するようで、
それもまたコーヒーの味わいを深くしている気がする。(´ー` )
この年齢になってもまだ、
コーヒーというものを、わりと新鮮に楽しめるというのは、
もしかしたら、しあわせな事なのかもしれない。